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2011.01.16 Sunday

ボカロ批判と現代美術批判




「ボーカロイド」と「現代美術」
共通点の無さそうで在りそうなこのふたつに対する批判には
ちょっとした共通点があるんじゃないかと感じた。

ハッキリ言ってこれから私が書くことは
ちょっと偏見的かもしれないし、勉強不足もあって
すっげー的外れなことも言っちゃうかもしれない。
だけど、私の個人的なメモだとおもって許してつかぁさい。

何が似ているか。
結論から言うと「芸術や音楽に対して幻想を抱いている」ことだと思うの。

ボーカロイド批判の中に
・デジタル音声
・歌詞が厨二
・歌詞が聞き取り辛い
・素人くさい
・全体的に痛い
・ファン層がキモイ
などなど、挙げだしたらきりがないほど沢山あった。

しかしながら、これはどのジャンルにも当てはまっちゃう。
熱狂的なファンなんてどこでもそんなもんだと思うし
歌詞もどのジャンル見たって痛いもんは痛い。
「おっさんがこんな曲作ってると思うと寒気がする」
ってのをいくつか読んだんだけど
彼らは他のアーティストが作詞作曲を
自らやっているとでも思っているのだろうか?
これらは完全に偏見のフィルターと無理解によるものだと感じた。

そして現代美術批判についても考えてみる。
現代美術に対しての批判でよく見かけるのが
「イミガワカラナイ」というもの。

意味不明なものを作って「これがアートです」
なんて言っちゃってるのがほんとにアートか?
アートってもっと単純明快で万人が受け入れられてこそアートでしょ?
みたいなのをよく目にするの。

この両者の共通してある基本的な見方。

例えば、クラシック音楽ってほとんどの人が
「なんだかよくわからないけどきっと良い曲なんだ」
みたいな意識があると思うんだけど
これは学校の教育で音楽という科目が教えたから
好き嫌いはあるにせよある程度の共通認識が形成されているんだと思うの。
たしかに技術や表現力の素晴らしさってのがあるんだけど
それを全部理解しようとはしないじゃない。

J-popやロックのような他ジャンルの音楽には
幼いころから(テレビやラジオ、街中でも)触れているから
何の違和感もなく聴けているんだと思うのね。
そこへ未知のジャンルである「ボーカロイド」が出てきた。
「人でない物が歌を歌った曲」という耐性の無いモノに触れてしまい
急に「え?何それ?ワカラナイ」となる。
しかし、「ワカラナイから嫌い」とは言えないので
さっき言ったような(こじつけの)ボカロ批判が出てくるわけだ。

現代アートも同じで
学校の美術教育の中で古典美術を重点的に教えられる。
これは優れた作品ですと教科書でもテレビでも言っている。
これも技術や表現力の素晴らしさは"感じる"ものであって
実際にその方法論や時代背景を全て熟知しているわけではない。

そして、漫画やイラストなんかはこれもポップ・ミュージックと同じように
幼いころから慣れ親しみ、考えることはせずとも"感じることができる"
ローコンテクストな感覚がある。

さて、そこに現代美術。
油絵とか水彩画とか学校で教わったモノ以外の素材で作られ、
技法どころか形や表現方法までも"教わったものとはちがう"
「ワケノワカラナイモノ」になる。


ボーカロイドのことを言いかえるならば
私は「現代音楽」と言って良いと思うし
漫画だって「現代美術」なんだ。

ワケノワカラナイモノの受け入れ方が分からないので
暫定的に理解をしているつもりになることで自分たちの不安感を
払拭しようとしているんだと思う。

現代美術を観る時に「何がいいのか分からない」と言う人に対して
「ちゃんと勉強しないと面白くないと思うよ」と言うのは
やはりそれに対して理解が必要だからだ。
そして先ずなにを理解すべきかと言えば
「アートは、不変的に、普遍的に、誰でも楽しめる」なんてのはただの幻想だってのを
ちゃんと理解してもらわなきゃならないと思う。

ボカロ厨と呼ばれる人たちはボカロの楽しみ方を知っている。
キャラクター性やその技術、作曲者という背景・・・いろんなものを知っている。
音楽というジャンルに新しく出てきた「ボーカロイド」は
その技術は別段目新しいものではなく、テクノだとかエレクトロニカだとか
デジタル技術を用いた音楽はすでに沢山あるしね。


音楽も芸術もローコンテクストな部分までは
誰でも簡単に楽しむことができるし、
そういう部分があるからこそボーダレスになれる。
しかし、その先にある"楽しみ方"みたいなところへ昇華させるには
ルールが必要で、そのルールを理解することで"遊ぶ"ことが出来るようになる。
時代背景、作者や鑑賞者の関係、立場、役割・・・
そういうものを理解することでゲームが成立するように"楽しみ方"を知らなきゃいけない。
"走るのが楽しい"というのはローコンテクスト
ルールを知ったうえで楽しむの"鬼ごっこ"というハイコンテクストな"楽しみ方"。

ハイコンテクストを理解することって実はとても簡単なんだと思う
なにも特別なものは必要ない、誰でも理解できるもの。
ただ、理解することをメンドクサがっているだけなんだと思う。


ちょっと長くなったけど今の私の頭の中はこんな感じで混沌としております。
こんなまとまらない話をしてしまってほんとごめんなさい。
しかしどっかに書いとかないと頭ん中パンクしそうで、とり合えず吐き出した。

文章をまとめたりする体力が無いので、ごちゃごちゃのままだけど勘弁してね。

実のところ他にも多角的に考えていることがあるんだけど、それはまた別の機会に。
こういう考察はずーっと長く続けていきたいし、明日にでも考え方が変わっている可能性すらある。
しかし、現時点での暫定的な答えとして残しておこうと思い、ここに書いた。
それは自分が後々見直すためでもあるし、いろんな意見も聞いてみたいというのもある。

批判に対する否定でも肯定でもなく、一つの意見ということで。

んがふふ

【追記】2011.1.17 9:50
非常に沢山の方々に読んで頂いているようで嬉しいです、ありがとうございます。
多くの意見や考え方など、反響も多くとても勉強になります。
まだまだ未熟な考え方なのは承知の上、このような記事を書きましたが
多角的な考え方や捉え方を知る良いきっかけになっていると思います。
感謝、感謝。
コメント
ツイッターで流れてきたので読ませていただきました。
僕も近い意見をもっているのでやはりそう思う人もいるよなーとか勝手に同族意識をもってしまいました。

わからないだけで済まさないでもっと知るべきなんでしょうね、
なんであっても。
それを再確認できただけで僕にとってとてもいい記事でした。

グダグダと書いてしまったんですがとてもいい記事でした。
では。
  • くるにゃん
  • 2011.01.16 Sunday 23:55
正直言って違うのではないかと思います。
ボカロ批判は現代美術批判よりはケータイ小説批判に近いでしょう。
ボカロの下地にあるのはやはり慣れ親しんだJpopであるのだし、理解できないから叩いているわけではないと思います。
既存の音楽に比べレベルの低い歌詞、曲、声だと判断し、これらが評価されるのはリスナーが洗練されていないためだと言うことを予想した上で叩いているのでしょう。きちんと理解していると思います。
美術を勉強した人に見られた上で評価された現代美術と違い、ボカロはぽっと出のツールに群がった素人の作品で、評価しているのも多くは素人です。
狭い世界で評価された素人の作品、という点ではケータイ小説に近いのではないでしょうか。

長文失礼しましたm(_ _)m
  • ゆうくん
  • 2011.01.17 Monday 02:46
くるにゃんさん
コメントありがとうございます。

知ることで理解をしてほしいんですよね。
理解することと肯定することはまた別問題なので
とにかく"理解してみる"ということを恐れないで欲しいと思います。
  • 秋良
  • 2011.01.17 Monday 08:14
ゆうくんさん
コメントありがとうございます。

なるほど、確かにそのファン層のあり方は違いますね。
能動的に勉強したか、受動的(自然的)に知ることが出来たか
けっこう大きな違いですね。

しかし「レベルの低い物」という見方は
やはり両者共通するものではないかな、と思います。
「普遍的美意識に対しての幻想」で誰でも楽しめなきゃいけない
というような考え方がこういう批判を生んでいるんじゃないかと思うんです。

そして美術も"素人"が評価し”素人”が楽しめるものになればいいなという私の願望もあります。
アートというものを理解するときに、普段楽しんでいる音楽のように
もっと気軽に楽しめればいいなと・・・。

そても参考になるご意見でした。
ありがとうございます!
  • 秋良
  • 2011.01.17 Monday 08:33
ゆうくんさんは自分が「理解出来ていないことを理解出来ていない」…。
  • K
  • 2011.01.18 Tuesday 16:39
Kさん
コメントありがとうございます。

語弊を恐れずに言うと「理解のベクトル」が違うのかも知れないですね。
私が”理解している(と思っている)”ものと
ゆうくんさんの仰る"理解している"とは微妙なズレを感じます。
明確な違いはまだ言える段階まで思考が追いついてないのですが
私の頭の中でまたひとつ新たに多角的な見方ができたと思います。
  • 秋良
  • 2011.01.18 Tuesday 17:41
美術の本質を知らない君に何がわかる。
何か伝えたいから、作品を作ることを批判するのはおかしい。
勉強不足のならば、出直してこい。
  • アイス
  • 2011.01.18 Tuesday 21:07
もう一つ君に言っておこう。
ボカロ厨だか、なんだか知らないが、人々を楽しませるために美術を学ぶ奴らは沢山いる。
努力をする奴らが沢山いる。
努力する過程さえも貶して欲しくない。
世界中の人々を君は馬鹿にしている。
こんなことをブログに書くことになんの意味がある?

君は、自分のした発言がどれほど最悪なことだかわかるか?

こんな事、ノートの隅にでも書いておけばいいだろう。

知ったかぶりも、ほどほどにしておけ。
  • アイス
  • 2011.01.18 Tuesday 21:17
アイスさん
コメントありがとうございます。

そうですね、私はまだまだ勉強不足です。
何事も本質を見出すのはとても難しいです。
しかし私は作ることを否定したつもりは一切ありません。
私も絵描きの端くれですから
それなりに真剣に考えているつもりです。
そう思わせてしまうような発言があったのであればそれは誤解です。

出直すも何も、私の個人のブログの”個人の意見”ですので
その程度に捉えていただければ幸いです。
  • 秋良
  • 2011.01.18 Tuesday 21:22
Twitterよりお邪魔します。
芸術にしろ政治にしろ本当になんでもそうだと思うのですが、「良いか悪いか」でしか語ることができないのはとても損だと思います。
そんなことを考えていた矢先だったのですごく勉強になりました。


>アイス氏
他人様のブログでこういうこと言うのもアレなんですが
ブログ主さんの
>「人でない物が歌を歌った曲」という耐性の無いモノに触れてしまい
>急に「え?何それ?ワカラナイ」となる。
>しかし、「ワカラナイから嫌い」とは言えないので
>さっき言ったような(こじつけの)ボカロ批判が出てくるわけだ。

あなたこれ、そのまんまじゃないですか。
さも美術は崇高であり、それを学ぶ者が尊いと言わんばかりの主張ですけどね。
あなたの言葉を借りるとこうです。

人々を楽しませるために音楽を学ぶ奴らは沢山いる。
努力をする奴らが沢山いる。
努力する過程さえも貶して欲しくない。
世界中の人々を君は馬鹿にしている。
音楽の本質を知らない君に何がわかる。
勉強不足のならば、出直してこい。

こんなところですよ。
長文失礼致しました。
  • k
  • 2011.01.18 Tuesday 21:32
うーん難しいところですね

秋良さんの言っている事も、アイスさんが言っている事も、ゆうくんさんが言っている事も、くるにゃんさんが言っている事もうんうんと頷けてしまう
  • 匿名
  • 2011.01.18 Tuesday 21:38
kさん
コメントありがとうございます。

そうですよね
確かに「良いか悪いか」という直感的な基準はとても大切なんだけど
その先にある”考えることで得られるもの”はもっと大きいように感じます。

直感的に不快に思う事でも、一度深呼吸して
何を伝えようとしてるのか、何故不快に思ったのかなど
自分の感情を思考にフィードバックするのも大切かもしれません。
  • 秋良
  • 2011.01.18 Tuesday 21:43
匿名さん
コメントありがとうございます。

沢山のご意見がいただけてとても勉強になります。
ここで文章化する前に「もっと多角的に考えてからにすべきではないか」とも思いましたが
どうにも自分一人ではラチがあかない状態が続いてましたので
是非沢山の方からお話を伺いたいと思い、未成熟ではありますが
ブログに書かせていただきました。

自分が思っていた以上に沢山の反響をいただけて嬉しいです。
  • 秋良
  • 2011.01.18 Tuesday 21:48
アイスさん、
まだ勉強不足だと思うからこうして公に意見を書いて他人の意見を欲しがってるんじゃないのかな。結局自分だけの見解だと認識に限界が出てしまうと思う。勉強不足だと思うならなんで自分の意見をちゃんと述べないの。それじゃあただの批判だよ。ボカロ批判と何ら変わらない。


みんな異種のものってなかなか受け入れられないよね。
あと自分が馴れていないものとか。
自分の肯定してるものが一番良いだとか、自分の考えが一番良いだとか、どうしても思いこんでしまう。
人間にとって偏見は永続的なテーマだよ・・
批判せずにはいられない一部の人とかもね・・
  • みかん
  • 2011.01.18 Tuesday 22:00
みかんさん
コメントありがとうございます。

今まで経験したことなかったものってなかなか受け入れにくいですよね。
それが理解しがたいものであればなおさらです。
そして"良いと思うものに対する偏見"ってのも大きな問題ですね。
「これが一番だ」と思いこむこともすっごく危ない・・・。なるほど。

コメント読ませていただいて「恋は盲目」という言葉を思い出しました。
どこかで読んだ「恋は偏見」ってのも納得いく気がします。
  • 秋良
  • 2011.01.18 Tuesday 22:12
こんばんは。ツイッターでこの記事を知って拝見させて頂きました。

主さんの考えには凄く共感というよりも実感する物が多いなと思いました。

というのも、これは自分の話になるのですが、私もボーカロイドが世に出回った頃、「キャラクターのかわいさはともかくとして、どうして実声に勝るわけも無くかわいい声でしか歌えてない音楽が評価されるのか」と思っていたんですが、いろんなボカロ作者さん達の曲も聴いてみて、ボーカロイド自体の歌唱力ではなくて、それぞれの作者さんの個性であるとか、メッセージであるとか。そして何よりも一音一音の拘りがちゃんと伝わって来るなと思ったのです。歌というのはやはり曲の主役になりますから、それによって曲の評価が大きく左右したりしますが、ボーカロイドの場合はその点をフラットにしたまま曲全体をよく分析し、咀嚼して楽しめるという事に気付きました。
同時に、それまでロックにしか興味が無かったのに、これを通してエレクトロ等他のジャンルも良いなと思うようになりました。

主さんの言われるように、デジタルくさいとか、痛いとか、楽曲のクオリティが低いなど様々な批判はあります。よく咀嚼した上で生理的に受け付けないのだとすれば、ボーカロイドというジャンルの音楽はその人には合わない物なのでしょう。しかし、中身の無い批判も多いんですね。「クオリティが低い」と言った場合に「具体的にどこが」という事までは言わない、というよりは言えないのが多いです。まるで面接の良い例と悪い例みたいですねwww
しかし、そういった批判のメカニズムっていうのは関心というのがやはり大きいように思います。口にしたかしてないか、咀嚼したか丸呑みしたかで物の見方なんていうのは180°にも359°にも変わりますね。主さんの言う「ワカラナイ」故のこじつけの批判というのは或いはこれの事なのかな、と受け取りました(違ってたらごめんなさい!)。

少なくとも上記の体験談は正に向き合う前と向き合った後の違いだと思います。
でもこれは自分が関心を向けた結果であって、ずっと無関心でいれば未だにボーカロイドなど人の真似事ソフト程度にしか思っていなかったかもわかりません。

自分は現代美術やクラシック音楽等全然わからないし関心が無い物がまだまだ沢山ありますし、無理にこれを咀嚼してみようとも思わないのですが、或いは何かの機会で吟味してみる事によって今は見出せていない魅力に取りつかれる事だってありうるでしょう。

多分、あらゆる物は最初は↑のような人々の姿勢があって徐々に認められていくのかなと思います。
しかし批判するという行為は対象の上に立つ、だとかより詳しい、よりキャリアがあるみたいなアピールや幸福感とリンクしている為、関心が無い物を無差別攻撃する人というのもまた多い、きっとこれが今回のこの記事の全貌なのでは・・・と思ったりします(自信はありませんが;;

何にしても、コンテンツという物があらゆる人間にウケるなんて事はあり得ませんし、様々な好みの中で或いは全面的に受け付けられない物もあれば、表面が自分と合わなかったというだけで、中身をよく見てみたら表面の悪さを補ってグッと良く感じる物だってあるでしょう。また、それを通して表面も良く見えてきたりもするかもしれません。人の好みなんてものは無常ですな^^;

批判というのは自分もしたりしますし、時に必要な場合もあると思います。
しかし人を傷つけるような形態であったり、根拠や中身が無いの(結局中傷)は、見るとちょっと滑稽であったりはしますね・・・



うわ、行き当たりばったりな感じで書いてたので読み返してみると乱文過ぎる上に小難しい文並べてるわりに内容が薄っぺらいような・・・・・・うわあああorz


長文失礼しました^^;;;;;;;

  • 大根和尚
  • 2011.01.18 Tuesday 23:04
大根和尚さん
コメントありがとうございます。

大根和尚さんのおっしゃる通り、具体的な批判と言うものがなかなか無く
それなのにそれに安易に同意する意見が多数見受けられたため
「これは美術作品に対する(安易な)批判に似てるなぁ」と思ったい次第です。

批判と言うモノは、何かが人々の意識の中に広がっていくために大切なもので
私も”批判そのもの”を否定はしません。
むしろ論点や理由のはっきりした批判は(それが未成熟であれ)とても好感が持てます。

自分の経験で未知だったものをしっかり咀嚼してから飲み込んで
その要素を少しでも胃袋で吸収して、要らないものは廃棄した上での批判は
とても勉強になりますね。
食わず嫌いで否定されても、それを食べる人たちには理解されません。

>あらゆる人間にウケるなんて事はあり得ませんし
と仰る通り人の趣味趣向が万人に受けることは無いので、
否定も肯定もお互いに強要せず、理解しあいながら楽しめるのが
今のことろ、私の理想です。
  • 秋良
  • 2011.01.18 Tuesday 23:26
私はこの問題に対しては、東浩紀の「動物化するポストモダン」にひとつの答えが提示してあるように思います。
記号的な消費に対して、訓練された消費者と、まだ訓練されていない消費者。後者は、無知を恐れず自由に発言してゆくことで、訓練されていきます。。

この記事は、批判に対する否定でも肯定でもなく、一つの意見ということですが、私には、見下ろしてる感が伝わってきました。孤独のグルメに出てくる自然食の店のような。。
  • 山田サロペット太郎
  • 2011.01.19 Wednesday 01:29
山田サロペット太郎さん
コメントありがとうございます。

東浩紀さんの「動物化するポストモダン」、読んだことがないので
早速買って読んでみようかと思います。
訓練される消費者は能動的なのか受動的なのか、てとも気になるところです。

「孤独のグルメ」というのは漫画なんですね。
こちらも読んだことが無いのでどういった内容かは調べた範囲でしか分かりませんが
「見下ろしてる」というのは「俯瞰して全体を見ようとしている」という風に受け取ります。
決して「見下して」いるわけではないので、そう感じられた方々にはここて訂正させていただきます。
申し訳ありません。
  • 秋良
  • 2011.01.19 Wednesday 05:59
一つ思ったので書きます
ボーカロイドと言うジャンルが確立されつつ有るのは確かなのですが、平たく言ってしまうとボーカロイドなんてギターとかと同じ楽器だと思います。耳に新しいと言うのは元々あったジャンルをボーカロイドを通して知っただけであってボーカロイドを批判するのは違うのでは?と思います。ボーカロイドの声に抵抗があるならあれですけどね。
  • Naught studio
  • 2011.01.19 Wednesday 10:30
Naught studio さん
コメントありがとうございます。

確かに、ボーカロイドという物自体は道具に過ぎません。
しかし、やはり批判する側はボーカロイドをひとつのジャンルとしているように見受けられました。
道具としての存在ではありますが、そのキャラクター性やボカロPの存在などの側面もあり、一概に「ただの楽器」とは言えないのではないかと思います。

ただ、この記事については「ボーカロイドをひとつのジャンルとするか否か」という話では考えていなかったので
今後、ジャンルとしての「ボーカロイド」についても考察してみたいと思います。
  • 秋良
  • 2011.01.19 Wednesday 10:40
ブログ主さん
というか、これ、読んでみて下さい!

初音ミク文化論「身体性なきボーカロイドの跳躍」前・後篇
http://togetter.com/li/70435
http://togetter.com/li/72860

そしてこの曲を聴いてみて下さい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13309167


アイスさん
ブログ主さんは、
「作品を作ることを批判」なんてしてないし、
「努力する過程さえも貶して」なんかしてないですよね。
どういう解釈をしたらそうなってしまうんですか?
  • K
  • 2011.01.28 Friday 04:47
Kさん
コメントありがとうございます

初音ミク文化論「身体性なきボーカロイドの跳躍」読ませていただきました。
とても面白かったです。
特に「ボカロはゲームか」という話、とても興味深い。
私は”ゲーム的”であると感じますが”ゲーム”ではないと感じます。
しかしそこでボカロをゲームと言ってしまうのなら
他のどの音楽に対してもゲーム的要素は付随してくるものだと思います。
”楽しい”というのはゲームの大事な部分ですから。
その楽しさの要素に新たなコンテクストが加わった。
この加わった部分がサブカルの要素を多く含む(キャラクター性であったりファン層なども)為、
”ゲーム”という喩えになったのではないかな・・・と読みながら考えてました。
また、音楽(や芸術)の身体性についても深く考えさせられる内容でした。

「Cipher」
トゥギャッターの討論から作るに至った曲なんですね…。すげぇ。
とても良い曲でした。
最初何の情報も調べないで先ず聞いてみました。
プロの方々が作られたようですが、私にとって他のボカロPに対する見方と
別段変化はありませんでした。
”さすがプロ”等のコメントもありましたが、果たして彼らが実名を公開していなかったら
他の(アマチュアPの)ボカロ楽曲との違いを見分けられたか疑問です。
「プロが作った」というフィルターがかかることで「なんかいい曲」と聞こえる現象も否定できない。
この”プロが作った”という事実もコンテクストになりえますし
その作られた方々のことをよく知っておられる視聴者には
他のどんなボカロ楽曲よりもよく聞こえるだろうと思います。
しかしこれは「あのPの曲はやっぱいいよねー」等のように他のボカロ楽曲にも言えること。
それらの違いは(技術的な問題は抜きにして)社会的知名度だけだろうと感じまました。

とても参考になるお話を教えていただきました。
ありがとうございます。長文失礼しました。
  • 秋良
  • 2011.01.28 Friday 21:19
そうですね、プロが作ったから良い曲に感じる人もいる一方で、
プロが作ったから、商業的な作りの音楽だ、量産型の曲だ、批判する人たちもいます。
どちらの側にも言えることは、
同じ曲でも、コンテクストが違うと受け取り方が全く変わってしまういい例ですね。
そういったコンテクストの違いによる議論が発生することも織り込み済みで実名で曲を発表したんだと思います。
そしてこの曲の美しいメロディと、何より歌詞は注目すべきに値すると思いました。
「初音ミク」が歌っているからこそ、深い意味と説得力が与えらていると。
色々な意味で「文脈」について考えさせられる曲でした。

  • K
  • 2011.02.01 Tuesday 02:52
Kさん
コメントありがとうございます。

コンテクストの違いで受け取り方、聞き方が変わるという
分かり易い例になりますね。
様々な意味を含んで”良い曲”でした。
  • 秋良
  • 2011.02.03 Thursday 10:53
実際理解しようにも理解出来ないし
何がやりたいか解らない
あなたが仰る通り意味がわからない

小さいころからヴァイオリンを習っててクラシックを勉強してた
私には少し食わず嫌いな所もあるけれど
これはなんて言えばいいのかな
ボカロの曲は意味が解らない
何をしたかったのか、とかこちらからは凄く解りにくい
それにファン層はキャラとかで結局やいやい言ってるわけでしょ?
それに実際曲の意味を理解している人なんか少ないんじゃないかな
曲自体の雰囲気だけで聴いてる感じ
例えば激しい曲ならその雰囲気だけで聴いてる感じ
そんなのが多いと思うのね

結局何が言いたいのかまとめると
曲の意味というか意図が良く解らない
から理解しにくい
ってことかな?書いてる自分でもよく解らない(笑)

ま、それを本当理解できる人は凄いんでしょうね

私は方向を変えてみると割と面白い物に見えました
例えばバックミュージックとかは
DTMやらエレキギターで弾いてるものとかがありましたが
これは非常にカッコイイ物とか面白い物もありましたね

一概に批判だけではなくそのものの客観的にみると良いものでした
具体的には先ほど書いた通りの物ですが・・・
・デジタル音声
が批判の中にありましたがこれは音楽のジャンルからして
違うものなんじゃないのかな?と思いました
違うジャンルどうしを照り合わせて聴いてる人が
そう思うんじゃないのかな(実際私も最初はそうだった
方向を変えることで割と解ったこともありましたし
そこは聴いてる側の判断の仕方によって変わりますね

グダグダ書き通しましたが
やっぱり一番大事なのは自分の持ってる感性を
人に押し付け無い事だと思います(感性というか意見を
これが原因かどうかは解りませんですが
ニコニコ動画内における風評被害かなと私個人そう思います

ともかく丁度私も他の人の意見が聴きたかったので
コメントさせて頂きました

長文ごめんなさいね!

  • 豆腐
  • 2011.02.07 Monday 01:41
豆腐さん
コメントありがとうございます。

私も幼い頃からピアノを習っていたのでクラシックもよくききます。
確かに、クラシックは奥深いですよね。
作曲者の精神性や時代背景を理解し、
その曲調やオケの壮大さもものすごく感動できます。
豆腐さんのように昔からクラシックを聞いている人は
そのコンテクストを自然に身に着けている状態ですよね。

しかしながら、クラシック音楽に触れてこなかった人にはそれが理解できません。
「こんな眠い曲聴いてなにが面白いの?」という人もいます。
その人たちはクラシック音楽に慣れ親しんでいないので何の知識も理解も無いわけです。
その人たちからすれば「クラシックは意味が分からない」ものになりますよね。

>曲の意味というか意図が良く解らない
>から理解しにくい
というのはクラシック音楽にもボカロ楽曲にも
まったく同じことが言えると思います。
そしてまたクラシック音楽を楽しんでいる人も
曲の意味まで全て理解して楽しんでいる人は少ないように
ボカロだって曲の意味まで理解して楽しんでいる人は少ないと思います。
>例えば激しい曲ならその雰囲気だけで聴いてる感じ
というのはクラシック音楽にも当てはまりますよね。
「かっこいい」とか「落ち着く」というようなものも"楽しみ方"のひとつだと思うので、クラシックもボカロも感性的に楽しむのはよいことだと思います。

古典美術やクラシックは歴史も深く多くのコンテクストを含み、一般社会にも馴染み深いものです。
それに対して現代美術もボカロ楽曲も歴史は浅く、一般社会になじんでいるものではありません。
しかし、この現代を積み重ねてきた結果が歴史的重みや時代背景を生むことだと思うので
そこで前衛的なものが感情論だけで批判されてしまっているのはなんだか悲しいことだなと感じます。

どの時代も前衛的なものは頭ごなしに否定されますが、長い目で見て将来的にそれが一般的に評価される時代が来る。
それを信じて、現代美術家もボカロPもへこたれちゃいけないな。と思う次第です。

長文失礼しました。
ありがとうございます。
  • 秋良
  • 2011.02.07 Monday 10:01
初音ミクニュースから飛んできて、拝見させていただきました。
コメントも流し読みですが目を通しました。色々な人が居ることを改めて実感しましたwww

秋良さんのご意見は概ね自分が感じているものとほぼ同じ内容で、共感を覚えました。
付け加えるなら、ボカロに限らず自分が理解できない文化に否定的な人というのは、一方で
自分が好きな文化(趣味)が、普遍的で一般的であることに無意識に執着しているようです。
また、割と一般的、普遍的な趣味を持つ人たち(特にクラシックファンや洋楽ファン)は、自分
たちの趣味がさも崇高であることを誇示したがる傾向にあると思います。

個人的には「はは、何それワロスwww」ですw

本来芸術も趣味も、自分が満足感を得るための手段の一つで、それが一般に評価されるとか
されないとかは大きな問題ではない、というのが今の自分の考え方です。名声欲で作られた
作品なんて、意味が薄いし虚しいだけに思えます。
無論、評価されると嬉しいし、それで同じ楽しみを持つ仲間が増えると更に楽しいのですけれどね。
それと、ディティールにとらわれて本質を見抜こうとしない人が多いですよね。
自分が本質を見抜く力があるとは思っていませんが、それを知ろうとすることが大事だとは
思っています。

「コンテクスト」という言葉、恥ずかしながら初めて知りました。なるほど、日本人の本質を語る
のに便利な言葉ですね。
今朝この記事を読みながら、たまたま娘たちが見ていたプリキュアを見たのですが、主人公たちが
「はっきり言わないと気持ちは伝わらない」といった内容で、「ああ、これがローコンテクスト
なんだなぁ」と思いました。日本の文化の西洋化は、こういう所にも影響しているんですねw
明確な答えだけを欲しがり、察すること、つまりは考えることをしない・・・これじゃあ今の子供は
考えることが苦手で応用ができない、直情的な生き物になるわけです。

あと余計なお世話かもしれませんが、自分の言いたいことをできるだけ相手に伝えたいのなら、
「コンテクスト」なんてインテリな言葉を使わず、中学生程度でも分かる言葉を使う、もしくは
注釈を付けた方が良いと思いますよ。
調べれば分かることですが、その時間を文章の解釈に回した方が効率的と思うのでw
横文字をやたらと使いたがるのは、意味を伝えにくくして曖昧にする政治家や、自己満足の
ために批評するテレビのコメンテーターのようで、ウチではそういうのを「半端インテリw」と
呼んでいます。真に賢い人なら、誰にでも分かる言葉で説明してくれると思うので・・・。

とりとめのない長文駄文、失礼しました。とても興味深い内容でしたのでつい・・・(汗
  • 小木宮
  • 2011.02.20 Sunday 10:16
ご意見、ごもっともです。
私も、なぜ?と日頃から思っていることを、明快にかかれてい居られるので、
私自身も納得しました。
ここで、言いたいことはは、2つ。
一つは、当たり前のことですが、クラッシックとボカロに上下はなく、ただ聞く人の嗜好があるだけだということ。
もう一つは、楽しみ方を知ってることは、興味を持つキッカケが必要で、ボカロを批判する人は、興味を持つまえにまず、マシンボイスとキャラで自分自身で音楽の本質を見ずに、バイアスを掛けて判断している残念な人だということです。
1点目ですが、私も、小さいころから音楽に親しんできたため、クラッシックも好きです。コメントに書かれているように、その歴史、奥深さ、曲の構成、演奏技術、表現などどれをとっても、すばらしいと思っています。クラッシックの楽しみ方を知ってると、知らないと眠たくなる曲も、深く聞き入ることができる曲として聞けるわけですが、クラッシックは、別に特別なものではないですし、ある意味パトロンなしでは成り立たなかった音楽で、歴史的にもけっこうドロドロしている物でもあると思っています。クラッシック好きが自分の好きなものを高尚だと言いたい気持ちになるのは、分からないでもないですが、「はぁ?クラッシックが高尚だって、誰が決めたんだ?」批判覚悟で極端に言えば、「所詮昔の金持ちや権力者の暇つぶしと自己満足だろ?」となるわけです。が、その反面、音楽に対して果たしてきた役割は、特筆に価するものと思っています。私は、ボカロも好きでよく聞いていますが、クラッシックもボカロも同じ土台で聞いています。極端な話どちらも私が楽しめれば、よい訳ですし、そこに、それぞれ高尚に対する意味は存在しません。そもそも、高尚の意味を私は理解できませんし、個人の嗜好が存在するだけです。
 もう一点は、好きであればその楽しみ方を自然と身に着けていくわけですが、分からないのは勉強しないからというご意見もごもっともですが、その人が勉強する気に
なるためのキッカケが必要です。そのキッカケは、ある人には、キャラであり、ある人は、マシンボイスに対する技術や、未来であり、またある人は、純粋に音楽性に共感を感じたからだと思っています。ただし、好きな人もいれば、嫌いな人もいるわけで、分からず批判する人は、純粋にそのキッカケに対して自分自身でバイアスをかけて、見てしまっているか、そのキッカケを自分で掴む事が出来ない人たちではないかと思っています。「今まで嫌いだったけど、曲を聴いてみたら、良かったので、今ではボカロ好きとか」キッカケを掴めていなかった人たちの、最もな例だと思います。
そういう意味でも、メジャー化とうまくバランスを取りながら、大衆化していくボカロを今後も、応援して行きたいと思っています。

 長文、駄文、失礼しました。大変考えさせて頂く内容で面白かったです。
  • renren
  • 2011.02.20 Sunday 12:22
>小木宮さん
コメントありがとうございます。

小木宮さんの言うとおり自分の趣味は誰しも崇高なんでしょうね。
自分の趣味のことは良く知っていますから、その重みや深さを知っています。
その「深み」というものが他のひとの持つ趣味にもあるということを
もう少し意識して欲しいなと思います。

「コンテクスト」という言葉についてのご指摘ですが
この記事内で「コンテクスト」を私なりに言葉の意味を説明しているつもりです。
コレができていないのは単に私の文章力不足なので申し訳ない限りです。
しかし、その言葉でしか表現し得ないような語感などもあると思いますし
単に「コンテクスト」を「文脈」と書き換えたところで
分からない人は分からないままで、知りたい人は調べると思います。
「解釈するために自分で調べる」とう言うことを除こうとするから
誤解や中身のない批判が出てくるのだとも言えるかもしれませんね。

また今回のこの記事に沢山のコメントを頂いて「語感」というものに対しても
深く考える良いきっかけになっています。
ありがとうございました。


  • 秋良
  • 2011.02.21 Monday 14:00
>renrenさん
コメントありがとうございます。

仰るとおり、それぞれにはその人の趣味趣向があるだけで
そこに優劣があるとは私も思いません。
それらが好きな人には崇高な存在であっても他者から見れば滑稽な姿に映るでしょう。
(信仰とかと同じような感じですかね。)

「勉強するキッカケ」というお話ですが
まさに彼らのする「批判」が勉強のキッカケだと私は思うのです。
純粋に興味のない人はその批判すらしませんし、「批判をする」と言うからには
負のバイアスであっても"興味"がそこには存在しているものだと思います。
そこで"勉強"をしないで「あれはダメだ、コレはダメだ」と言われる側はたまったもんじゃないなと。

今後ボカロ市場がどのように発展衰退していくか
音楽にとっても、サブカルにとっても、そして一般大衆に対しても
とても気になるところなので私も勉強を続けて行きたいと思います。
ありがとうございました。
  • 秋良
  • 2011.02.21 Monday 14:19


 初音ミクニュースから、読ませていただきました。


 キャラクター性や技術・作曲者の背景がボカロを楽しむ上でカギになるという点は私の実感に近く、
かつルールを理解してハイコンテクストを愉しむという新しい捉え方が示されていて、
また一つ初音ミクや音楽への見方が深まったように思います。
(こういった思考や意見交流もボカロの楽しさの一つですよね。)


 一方で、2つ目のコメントの方の意見も興味深く、思い当たるところがありました。
確かに曲も歌詞も声も、既存の音楽より平均的なレベルは低いと私も思います。


 結局、「どちらかがどちらかよりも完全に優っているという訳ではない」という点では
ある程度理解のある人の間では同意されるのかなと思います。
つまり、どちらが合っているかは究極的には人それぞれであるはず。
だからこそどんな人にボカロ界が合うのか・シェアはどこまで伸びるかが問題となり、
そのためにどんな長所・短所があるのかを浮き彫りにする作業が必要になって
あれ?まとまらない

 とにかく面白かったです、素敵な考察をありがとうございました。
 長文・乱文失礼いたしました。

  • min.
  • 2011.02.24 Thursday 04:29
※補足というか駄文:
ボカロ厨として、2番目のコメの方に顔を真っ赤にして反論させていただくと、

1.平均点は低くともトップ層のレベルは同等、そして良曲の探しやすさでボカロが勝っている。ゆえに同じ時間的金銭的コストで視聴する場合ボカロの方が良曲がみつかりやすい。

2.音楽の本質は曲・詞・声ではなく聴いたときの感動。ボカロならではの作曲者の気持ちや曲に込められたメッセージも重要な要素。

3.ケータイ小説は日本人なら誰でも書けるがボカロ曲は最低限の(というかかなりの)努力や知識が必要、ボカロの作曲者たちは少なく見積もっても平均5年以上くらいは音楽を学んでいるように思う。

4.評価しているのも多くは素人という点も、例えば秋良さんもかなりの音楽知識があるし、私もピアノを4年と高校の合唱部で全国のステージに上がったこともあります(すっごい微妙な音楽歴だけどこれが精一杯の自慢)。むしろ既存音楽よりもボカロのリスナーの方が、平均的に音楽への関心が強いと思う。

といった主張をさせてほしいんですがっ。
…驚くほどイタくなったイタイけど私は謝らない。
  • min.
  • 2011.02.24 Thursday 04:37
min.さん
コメントありがとうございます。

まさに、楽しみ方は人それぞれで
何を言っても(何を知っても)楽しめない人には楽しめないものでしかない。
優劣のみの判断基準で物事を振り分けられてしまうのは
楽しんでいる側からすれば憤りを感じずにはいられませんよね。

そして、ケータイ小説に関してですが、私はこの二つも共通部分が多いと感じています。
一般的な見解として、ボカロもケータイ小説も"素人の作ったもの"と言われてしまう。
これは様々な分野にいえることなのですが、ネットインフラが各個人に整い
さらに機材やソフトが誰でも手に入れられるようになったため
"ハイスキル素人"と呼ばれる層がクリエイターの飽和状態を生んでいることに起因するのではないかと最近考えています。
その"ハイスキル素人"層が大多数を占める新たな市場が構築され、
これが業界全体の「平均」に加わることで"質の低下だ"と揶揄させる原因なのかな、と。

「作品の価格の低下と求められる質の向上」が反比例的であるというようなこともあり
お金をもらって作っている人たち(プロ)からすれば"素人"が作ってる市場は正直言って
とても邪魔なものです。

そういった問題をいかにして解決していくか、難しい問題ではありますが
「ボーカロイド」という音楽や「アート」が広く世に認められていくためには
必要不可欠な部分かも知れないなと思っています。

話が脱線気味で申し訳ありません。長文失礼しました。
  • 秋良
  • 2011.02.24 Thursday 09:58
私がこの記事を読んで、本当にあらゆるものを理解できるかという点について疑問に感じました。美術や音楽は作者の主張を最も合理的に作者が表現したものであって、すべての人がその作者の主張を理解できるわけがないと私は思うのです。ましてや、それを知識として吸収したとして、理解したとはいえないのでは?

今回この書き込みを読めてよかったです。
私もこのように物事をあらゆる視点から考察することが好きなので。
乱文失礼しました。
  • 小夜
  • 2012.04.21 Saturday 20:59
小夜さん
コメントあちがとうございます。

創作において一次的な視点は作者にしか理解できず
それを他者が理解しようとするときに作品の意図を補う意味での
言葉であったりコンテクストであったりするのだと思います。
たしかに「知識の習得」は「理解する」こととは異なりますね。
そこを履き違えないように気をつけなければいけませんね・・・。

この記事を書いてから一年以上が経ち、
その間に私自身も勉強を重ね、また新たな考察や視点が見えてきました。
今でも沢山のアクセスをいただいて沢山んの方に読んでいただけること大変嬉しく思います。
  • 秋良
  • 2012.04.27 Friday 08:17
記事読ませていただきました。
コメントも色んな方の意見読ませていただきました。

やはり人それぞれなんだなぁと思いました。
音楽とか芸術ってどぉしてもプライドが生まれてしまうから、自分の位置づけとか、プライドを保つために物事を評価するのかなって思いました。
別に嫌いじゃないのに、人気が上がると嫌になって批判するって人いっぱいいそう。
自分がまわりの人たちと一緒にされたくないから
周りより少し先をいっていたいからとか
表には見せないけど、本当の本当の根っこは
そぉいうプライドなのかなって思います。
人間って大変ですよね。

なんだか色々考えさせられて良い記事だなと思いました。失礼します
  • ひがんそ
  • 2012.04.28 Saturday 02:44
ひがんそさんコメントありがとうございます。

批評や評価、意見までも全て自分のプライドが反映されたものかもしれませんね。
議論や討論もそういう面で見れば、人とは違う「自己」を見せることで
自らのアイデンティティを認識する作業なのかもしれません。
  • 秋良
  • 2012.05.01 Tuesday 18:19
初音ミクニュースから流れてきました。

秋良さんの丁寧な受け答えにとても好感をもって読ませて頂きました。
ホントにいろんな視点のコメントがあってとても楽しませて頂きました。

言葉の選択が読み手に与える影響の大きさを改めて感じました。
自分が何気なく使っている言葉って、やはり自分だけの解釈でしかないんだなぁ、
と強く感じます。難しいですね。文章で伝えるのって。

ひとりひとりは物理的に違うように、みんな違っていて当たり前なんだから、
趣味嗜好も表現方法や内容もその人そのものも尊重していきたいです。と云うか
いけたらいいなぁ、と何か強く思ってしまいました。

好き嫌いもあって当然だし、食わず嫌いももったいないけど、あって当然とした
方がいいのかな。
その上で、批判する側もされる側も、きちんと理解した上での批判なのか、単なる
好き嫌いなのか、はたまた食わず嫌いなだけwなのかを分別出来たらいいなぁ、と。
そうするだけで感情的な行き違いってかなり軽減できるんじゃないのかなぁ。

元々はボカロと現代美術(コメント内では更に携帯小説)に対する批判の類似性に
ついて思うところを書いた文章だったと思ってますが、この構図って普遍的に
何にでも当てはまると思いました。

長々とお目汚し失礼いたしました。
  • elainage
  • 2012.05.03 Thursday 23:11
elainageさん
コメントありがとうございます。
確認が遅くなってしまいすみません。

皆さんとても面白いご意見ばかりで
自分の見られていなかった視点に気が付かせていただいております。
ありがたいです。

批評や批判なのか、単なる好き嫌いなのか、
第三者が文章だけ読んでいても分かりにくいかもしれませんが
この違いは文章の内容に大きな影響を与える部分ですね。

書いている側も、自分のソレはどちらなのか、
意識しているか否かでは同じ事を書いていても
言葉遣いや表現が大きく変わってくることと思います。

議論や批評となるとどうしても感情的になってしまう一方で
どこかに冷静さを持ち、適切な表現がお互いに出来れば良いなと常々感じています。

私がボカロ楽曲が好きで、現代アートも好きで、
一般的にはアングラな部分での一種の流行の中で
同じような批評・批判が目についたので記事にしたものでした。

仰る通り、アングラだけの話ではなく
様々な議論におても同じような批判がありますね。
多種多様な趣味嗜好にかこまれているなかで
自分の感じている好意や嫌悪感を、今一度考えて接して行かなければと思います。
  • 秋良
  • 2012.05.11 Friday 21:01
確かにそうですね。
私自身、VOCALOIDが物凄く好きなのですが、批判的な考えの人の思いは全く解りませんでした。

あと、私の考えになってしまうのですが…
それでも、無闇に批判するのは良くないです。VOCALOIDが好きな人もいるし、嫌いなら「ボカロはクソだと思う奴集まれ~」みたいなブログとかやって良い訳ではないですよね。
嫌いだからって、やって許される事と許されない事があると思います。
それから、そうやって自分が嫌いなモノを批判するのは、自分が好きなモノを批判されても、どうとも思わないからだと、思います。

「歌詞が厨二」「全体的に痛い」…だから何なのでしょうか。
それが好きな人だっているんだな、と理解できないのは、ハッキリ言って幼稚だと思います。

あれ、何か私の意見になっちゃいました…
すみません
  • パト
  • 2012.12.11 Tuesday 16:39

記事に目を通させて頂きましたぁ

私はVOCALOIDのファンで
歌い手、コピーバンドをやってます。
批判する人をあざ笑ってマスww

少し追加的な事を書かせて頂きますぅ。
批判する人の大半は
合成音声ソフトと
(ナビで使われているような声)
キャラクターの個性とかでも
不快感を見いだしている人が多いです。
いわゆる、ネットアイドルとか?
(技術に書いていた通りですが)

最近はファン急増に付き
一般人的にはキツい感じの人もいます
が、フィギュアなどの数はしれていて
グッズなどは普通のアニメの類より
遥かに少ないんです。
(友人が集めているのでわかりますww)

実は、VOCALOID初音ミクの
ソフトなどは[ヤマハ]が作っていて
ちゃんとした、作新の一つなんです!!!

現在はミクだけでは無く多くの
アーティスト(rear?さんGacktさん)の
癖をとった、合成ソフトもありますし
アペンド版←(ノーマル4倍の性能)
などのめちゃ多くのソフトもあります

そのソフトによって、曲調やジャンルも
変わり、人間に違い音声だってあります


ボカロpの人達は
サウンドを作るプロで
結わば、サウンドクリエーターです。
普通のアーティストとは曲の
構成具合の桁と
一曲に掛ける時間も違い過ぎます!!

ボカロpはその音声ソフトだけではなく人が歌う為に構成されている
曲の方が多いんですよ!!!
歌い手などもその一つで歌い手の為にも
曲を作ったりだってしています。

それに、はっきりと言うと
音楽の構成は日本一といっていいぐらい
の繊細な構成にされています。

上げるならば、supercellさんの
歌詞のセンス(女性を視点にした)
ギターのメロディーラインや
音によるこだわりは世界でもトップです

まぁ、言いたい事はですね
VOCALOIDを嫌う人、批判する人は
音楽を知らなさすぎると思う
VOCALOIDは音声で出来てる訳ではなく
それにあったメロディーラインがあり
一曲に掛ける時間が違います。

まず、好きな人も嫌いな人も
楽器の音、歌詞、声の全てを聴いて
発言をしてもらいたい!!
それでも、嫌いならそれは
その人に合わないだけです。

もし、音声ソフトが苦手なら
歌い手が居ますのでそれのカバー
なども聴いて見て下さい!!!
VOCALOIDでは無くなりますが
最終的な形は全く変わってませんので

てか、すいません
記事へのコメントじゃあ無くなって
しまいましたぁ~(゚∀゚)












  • †Aki†
  • 2012.12.22 Saturday 10:47
揚げ足ですが、ここで言っている批判は批判じゃなくて非難では?
批判ってのは、物理的に比較して(手辺に比較の比)、判断する(判)って意味で、
非難的意味はありません。そもそもCriticalの訳語です。
正しい表現を用いた例では、
・批判的思考
・批判理論
・批判的地域主義
・純粋理性批判
等があり意味合いとしては結構重い言葉です。
特に美術系を絡めると判断力批判なんてものが先にあります。

マスコミの誤用が一般化してしまってますが、
敢えて話題に美術を持ち出すなら、その分野で重要な用語は
正しく使ってほしいなと思います。
  • 2012.12.30 Sunday 18:53
気になったので、読ませていただきました。
私は美術が好きです。ボカロも好きです。
私は初めてボカロの音楽を聴いたときに「何これ?何言ってんの?」と思ってました。でも、逆に歌詞が気になって調べたら好きになりました。
ミクのビジュアルも好きだったんで余計にハマりましたww
その後、ミクは声優の声をもとに作られていること。歌を作るのは、私達のような一般の人たちということ。動画を作り出す絵師さんがたくさんいること。歌い手や躍り手と言う人がいること。たくさん知っていつか私も関わりたいとか思ってますww
美術に関しても同じです!たくさんの画材があることを知り、たくさんの塗り方があり、現代のものも参考になります
主様の考えと同じです!
  • なしな
  • 2013.03.06 Wednesday 22:10
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